皆生トライアスロン観戦レポート:ヒルクライムもある過酷なレース

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鳥取に出張中、たまたま大山に登った日が皆生トライアスロンの開催日と重なった。まったくの偶然だが、これも何かの縁だろう。

北海道アイアンマンがなくなってしまった今、国内でロングディスタンスといえば、佐渡・五島・宮古島とのこの皆生(かいけ)の4大会のみ。他の3つはすでに完走できたので、次は皆生に出てコンプリートしたいと思っていた。

大山に向かうバスの中からバイクパートを観戦し、街中ではランパートのゴールまで見学できた。皆生は温泉も有名なので、レース前後の観光も楽しめそうだ。

皆生のバイクパートは坂がきつい

大山の登山口までバスで向かう途中、ロードバイクに乗った人たちが路肩を走っていた。レースの練習かと思ったら、なんと今日が本番。バスの運転手さんから「今日は皆生のトライアスロン大会なので、到着までちょっと時間がかかりますよ」とアナウンスがあった。

皆生トライアスロンのバイクパート

何の因果か、バス内の絶好のポジションからレースを観戦することができた。皆生では離島のレースと違い、バイクコースの大山付近では交通規制が行われないようだ。たいした交通量はないが、登山口に向かう県道24号は大型バスも通るので少々危なっかしい。

皆生トライアスロンのバイクパート

選手のきつそうな顔を見ると、この道はかなりの傾斜があるようだ。後ほど下山して走ってみたら、途中で勾配8~10%の標識が見えた。しばらく進むと「標高300m」の案内板も出てきた。

トライアスロンなので、当然スイム後に海抜ゼロからスタートしたはず。重いTTバイクでここまで上らされるとは気の毒だ。後から調べたら、皆生のバイクは標高差約400m、獲得標高2,000mに達するハードなコースだった。

皆生トライアスロンのバイクパート

県道36号との交差点でバイク集団と別れたが、交差点ではスタッフによる交通整理が行われていた。大山行きの車はかなり渋滞したので、レースで不便をこうむる観光客や近隣住民の気持ちもわかった。

ランは信号で止まり歩道橋を渡る

大山に登って市街地に戻ると、まだランナーが走っていた。しかもたまたま予約したホテルがコース上にあるという奇縁。

本当は駅に近い宿を取りたかったのだが、どこも空室がなかった。今思えば千人近くいるレース参加者と関係者で満室だったのだろう。せっかくなので、外に出てランナーを応援しつつゴール会場まで下見に行ってみた。

皆生トライアスロンのランパート

街中でも交通規制が行われず、ランナーは歩道を走っている。そして道路を横断する際は歩道橋を渡らされる。

ゴールの競技場に向かう川沿いの交差点では、普通に信号待ちが行われていた。あたりは日も暮れて、タイム的にトップ選手はもうゴールしている時間帯。残り2kmで疲労もピークなのか、選手も特に焦っている様子は見えなかった。

コース内にある踏切

宮古島と同じく、ゴールは陸上競技場のトラックに設置されている。待ち構えていた家族や仲間とフィニッシュする人が多かった。

皆生トライアスロンのフィニッシュゲート

レース後は水とバナナをもらえる程度。競技場の外に出ると屋台がいくつか出ている。何となく離島のレースに比べると、街道の応援も会場も地味な印象だった。表彰式やパーティーは翌日に行われるのだろう。

皆生はトライアスロン発祥の地

翌日はレンタサイクルで大山一周するため、皆生温泉に自転車を借りに行ってみた。海岸にはトライアスロン発祥の記念碑が置かれている。

日本トライアスロン発祥記念碑

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宮古島と同じく、マンホールのふたもトライアスロン仕様。

皆生トライアスロンのマンホール

米子駅では、改札前に大きな看板が出ていた。皆生のキャッチコピーは「鉄人の聖地」。1981年に国内ではじめてトライアスロンのレースが行われたらしい。先日参加した宮古島も1985年から続く歴史のある大会だが、皆生の方が数年早かったようだ。

皆生トライアスロンのポスター

(クリックで拡大)

その一方で、皆生といえば一般的にはトライアスロンより温泉が有名だ。「山陰の熱海」と呼ばれ、実は年間50万人も訪れる有名な保養地でもある。

皆生温泉海水浴場

離島のレースは島を挙げてのお祭り騒ぎというムードだが、皆生の大会は老舗らしく落ち着いた雰囲気で運営されている。トライアスリートと湯治客が穏やかに共存している感じだ。

本土から陸路で行けるロングのレースは今や皆生のみ。レースの前後は温泉もセットで、草津ヒルクライムのように観光も楽しめそうだ。いつかは参加してみたいと思う。